2017/08/25

丁寧な暮らし

ここのところ、「丁寧な暮らし」について考えたりしてました。

「丁寧な暮らし」

いい響きですよね。
なんとなく、穏やかで、ゆったりとした、地に足がついているような雰囲気がします。
一つ一つのことを大事にして、日々と丁寧に向き合って、背筋をピンと伸ばして凛と生きているような感じ・・・。

いいイメージしかありません(笑)。

「丁寧な暮らし」に憧れていたけど、この言葉に憧れていたのかな。

私の中では、「農的な暮らし」は「丁寧な暮らし」につながっているような気がして、
こころね農園の一員となった頃は、「農的な暮らし」の実践を一生懸命頑張っていたように思います。

でも、今思えば、あたまでっかちで、
地球に優しいからとか、大事なことだからとか、
「やりたい」という気持ちより、「やらなけらばいけない」という気持ちが勝っていて、穏やかにというより、必死さが漂う「丁寧な暮らし」だったような気がします。

かといって、今が穏やかにできているとも全然言えないのですが、
「丁寧な暮らし」というのは、ゆったり穏やかなものではなく、
とても忙しいものだとわかっただけでもましになったのかもしれない、と思っています。

一つ一つのことを丁寧にすることは、時間がかかるし、エネルギーも使います。
だから、簡単に済ませる方が、きっとずっと効率的(もしかしたら経済的でもあるかもしれない)。
丁寧にするためには、やることがいっぱいあって、手間もかかるし、のんびりとなんてしていられない。

それでもやっぱり、「丁寧な暮らし」をしたいと願ってしまうのはなぜなんだろう。

きっと、「丁寧に暮らす」ことは、簡単にすませるよりずっと豊かで、しあわせを感じられるからかもしれない、というのが今の私の答えです。

「丁寧に暮らす」と時間もエネルギーも使うけど、
それは、時間とエネルギーを「消費する」というより、「蓄積する」という感覚に近くて、疲れるけれどすり減って消耗する感じではない気がする。
だから、忙しくても、どこかで楽しんで、笑ってられるのかなと思ったり。

養鶏にしても、野菜作りにしても、もっと効率的で簡単に済ませるやり方はたくさんあるんだろうけど、やっぱり私たちはこういうやり方が性に合っているんだと思う。
こういうやり方の方が、自分たちもしあわせを感じられるし、
きっと食べる人にもしあわせを感じてもらえるんじゃないかと思ったりしています。

一つ一つ丁寧に向き合っていこう、と決意新たな夜(笑)。

自分がしあわせを感じられる方向を目指そう!