ご無沙汰しております。
急に寒くなり、雪が降ったりしておりますが、みなさんお元気でしょうか。。
近況など報告しようと思いつつ、しばらく投稿ができずすみません。
私はというと、この怒涛の日々にも慣れてしまい、これが日常になりつつあります(笑)。
大丈夫です。元気です。
今日、ふと昔の手紙を手に取りました。
2010年ってあるから、もう12年も前の手紙。
親友とのやり取り。
彼女とは、ことあるごとに手紙のやり取りをしていて、
彼女からの手紙はもちろん、自分が書いた手紙も投函する前にコピーして全部とってあります。
たまたま選んだ一通を、何となく読んでみると、
今の私に向かって書かれているようで、驚きました。
少しだけ、紹介しますね。
「とっちぃ(私のあだな)は、自分のやりたいことだけやっているようで、
実は、一石二鳥というか、同時に人も(親も)喜んでくれるようなことを選択してきたと思います。
もちろんそれはとても素敵なことだけど、最後は真にわがままになれるといいね。
それが楽観ってことになると思うのだけど」
なんか、泣ける。。
私は、自他ともに認める”わがままな人間”で、
ずっと「自分のやりたいことは何なのか」ばかりを考えてて、
そこに忠実に?生きてきたようなところがあって、
”わがまま”であることは、十分自覚しているのだけど、
それだけじゃないと、自分では気づかない私を彼女は教えてくれた。
今回の自分の行動や決断は、その、「一石二鳥」を選んでいるのかもしれないと思いました。
うまくいくかわからない、どうなるかわからない。
でも、たぶん、なんとかなる。
それが、彼女が言うところの「楽観」で、最後はそこなのかな、と。
その彼女の手紙に対して、私は、
「言葉に力があるのではなく、力のある言葉があるだけ。
対話に力があるのではなく、力のある対話があるだけ。
人は、”考え抜く”という営みによってこそ自分の言葉を獲得し、
「力のある言葉」や「力のある対話」を紡いでいけるのだと思う」
と偉そうなことを書いていました(笑)。
考え抜き、どこかしら突き抜けたところのある彼女の言葉には力がある。
「野菜に力があるのではなく、力のある野菜があるだけ」
「料理に力があるのではなく、力のある料理があるだけ」
日々の営みによってしか、力のあるものは作れないんだと思う今日この頃です。
いつも野菜や卵を楽しみにしてくださっているみなさんには、
ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ないのですが、
力のあるものを作れるように頑張ってまいります。
力のあるものを作れるように頑張ってまいります。
もうすぐ4月。
彼女の誕生日でもあるし、彼女が遠くに旅立った日でもある。
彼女がこの世に存在しなくなってもうすぐ10年。
でも、いまだに彼女の言葉に、彼女との対話に励まされている私。。
もう何年も手を触れていなかった手紙たちに、
なぜ今日は触れてみる気になったのか不思議だけれど、
彼女が私を心配して来てくれたのかなと思ったり。
ちょっと遠いのでしばらく行けてないけど、今年はお墓参りに行きたいな。
春は切ない季節です。