2022/03/23

昔の手紙

ご無沙汰しております。
急に寒くなり、雪が降ったりしておりますが、みなさんお元気でしょうか。。
近況など報告しようと思いつつ、しばらく投稿ができずすみません。

私はというと、この怒涛の日々にも慣れてしまい、これが日常になりつつあります(笑)。
大丈夫です。元気です。


今日、ふと昔の手紙を手に取りました。
2010年ってあるから、もう12年も前の手紙。
親友とのやり取り。

彼女とは、ことあるごとに手紙のやり取りをしていて、
彼女からの手紙はもちろん、自分が書いた手紙も投函する前にコピーして全部とってあります。

たまたま選んだ一通を、何となく読んでみると、
今の私に向かって書かれているようで、驚きました。
少しだけ、紹介しますね。

「とっちぃ(私のあだな)は、自分のやりたいことだけやっているようで、
実は、一石二鳥というか、同時に人も(親も)喜んでくれるようなことを選択してきたと思います。
もちろんそれはとても素敵なことだけど、最後は真にわがままになれるといいね。
それが楽観ってことになると思うのだけど」

なんか、泣ける。。

私は、自他ともに認める”わがままな人間”で、
ずっと「自分のやりたいことは何なのか」ばかりを考えてて、
そこに忠実に?生きてきたようなところがあって、
”わがまま”であることは、十分自覚しているのだけど、
それだけじゃないと、自分では気づかない私を彼女は教えてくれた。

今回の自分の行動や決断は、その、「一石二鳥」を選んでいるのかもしれないと思いました。
うまくいくかわからない、どうなるかわからない。
でも、たぶん、なんとかなる。
それが、彼女が言うところの「楽観」で、最後はそこなのかな、と。


その彼女の手紙に対して、私は、

「言葉に力があるのではなく、力のある言葉があるだけ。
対話に力があるのではなく、力のある対話があるだけ。
人は、”考え抜く”という営みによってこそ自分の言葉を獲得し、
「力のある言葉」や「力のある対話」を紡いでいけるのだと思う」

と偉そうなことを書いていました(笑)。
考え抜き、どこかしら突き抜けたところのある彼女の言葉には力がある。

「野菜に力があるのではなく、力のある野菜があるだけ」
「料理に力があるのではなく、力のある料理があるだけ」

日々の営みによってしか、力のあるものは作れないんだと思う今日この頃です。
いつも野菜や卵を楽しみにしてくださっているみなさんには、
ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ないのですが、
力のあるものを作れるように頑張ってまいります。


もうすぐ4月。
彼女の誕生日でもあるし、彼女が遠くに旅立った日でもある。
彼女がこの世に存在しなくなってもうすぐ10年。
でも、いまだに彼女の言葉に、彼女との対話に励まされている私。。

もう何年も手を触れていなかった手紙たちに、
なぜ今日は触れてみる気になったのか不思議だけれど、
彼女が私を心配して来てくれたのかなと思ったり。
ちょっと遠いのでしばらく行けてないけど、今年はお墓参りに行きたいな。

春は切ない季節です。