このところ、ブログの更新を意識してまめにしていたつもりですが、
気づくと前回の更新から1週間。。
なんとあっという間の1週間でしょう!
きっと、すぐ12月になって、お正月になって、明けましておめでとうございます、
なんて言っているのかもしれません。
さて、今日11月23日は勤労感謝の日。
それぞれがそれぞれの持ち場で目の前の仕事に従事していて、
昭和23年に制定された祝日法により、勤労感謝の日となりました。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」とうたわれ、国民の祝日となりました。
勤労を尊ぶことも、
生産を祝うことも、
互いに感謝しあうことも、
どれも大切なことですね。
なかでも、感謝しあう、というのが、一番重要なことに思います。
感謝する、ではなく、感謝しあう、
お互いが、お互いに感謝しあうというのが、とても。
それぞれがそれぞれの持ち場で目の前の仕事に従事していて、
そのどれがかけても社会は成立しないということ。
そういったことに目を向け、想いを馳せることは、とても重要なことではないかなと思います。
そういったことに目を向け、想いを馳せることは、とても重要なことではないかなと思います。
そして、実は、それが、自分自身も含めて、いま一番この社会に欠けていることのように感じています。
勤労感謝の日。
そもそもの由来は、『新嘗祭』という実りへの感謝を祝うものだったといいます。
日本という国の根幹である田んぼ。
その田んぼを中心に古来から祭事が営まれてきました。
もともとは、お米の収穫が終わり、一年分の食料が採れたことへの感謝を祝う日でした。
その田んぼを中心に古来から祭事が営まれてきました。
もともとは、お米の収穫が終わり、一年分の食料が採れたことへの感謝を祝う日でした。
きっとこの感謝は、多方面に向けての感謝だったのでしょう。
周りの人や、家族、神々や自然といった目に見えないものにまで向けられたのだと思います。
そもそも、田んぼの作業は一人ではできません。
みんなで助け合って、協力し合わなければできません。
きっと昔の人は、「お互いに感謝しましょう」と言葉で言われなくても、
自然と互いに感謝しあい、助け合って生きてきたのだと思います。
今の私たちも、本当は助け合って生きています。
農家も、八百屋さんも、大工さんも、床屋さんも、会社勤めの人も、教育に携わる人も、看護・介護する人も、お医者さんも、花屋さんも、ケーキ屋さんも、コーヒー屋さんも、ごはん屋さんも、お店屋さんも、ガソリンスタンドで働く人も、工事現場で働く人も、ゴミ処理の仕事の人も、電気屋さんも、水道屋さんも・・・、身近なところでもあげたらきりがありませんが、世の中の仕事全てが今の社会を支えています。
でも、その人たちに、日々の中で感謝しているでしょうか。
それなりに感謝はしていても、お金を払っているんだから、「当たり前」と思っていないでしょうか。
何かを買う時、サービスを受ける時、お金を払います。
限られたお金を遣うのだから、できるなら、なるべくなら、安い方がいい。
なるべく自分の手元にはお金が残る方がいい。
それはそうです。
でも、そのお金は、その仕事をする人の生活を支えます。
つまり、その人がその仕事で生活をするだけのお金を得られなくなるのなら、
その仕事をする人はいなくなってしまう、ということです。
そう考えると、お金を払う時に、
「この仕事をしていてくれてありがとう」と感謝の気持ちを持てるし、
「がんばってください」という応援の気持ちも添えることができるように思います。
自分が頑張って働いたお金を遣うわけなので、生活が楽なわけでもない中で、
出ていくお金に「ありがとう」とはなかなかいえないかもしれません。
でも、感謝の気持ちが少しでもあれば、せめてクレーマーにならずに、
安さだけの追求には走らないでいられるようにも思います。
感謝。
それが社会の中心にあれば、いまよりはもうちょっと住みやすい世の中になるのかもしれません。
たけちゃんが、毎日時間を見つけては積み上げてくれている薪です。
家族が寒い思いをしないようにと頑張ってくれています。
ありがたいことです。
まずは、身近な人に、感謝の気持ちを伝えたいと思います。
たけちゃん、毎日おつかれさま。
そして、いつもありがとう。
今の私たちも、本当は助け合って生きています。
農家も、八百屋さんも、大工さんも、床屋さんも、会社勤めの人も、教育に携わる人も、看護・介護する人も、お医者さんも、花屋さんも、ケーキ屋さんも、コーヒー屋さんも、ごはん屋さんも、お店屋さんも、ガソリンスタンドで働く人も、工事現場で働く人も、ゴミ処理の仕事の人も、電気屋さんも、水道屋さんも・・・、身近なところでもあげたらきりがありませんが、世の中の仕事全てが今の社会を支えています。
でも、その人たちに、日々の中で感謝しているでしょうか。
それなりに感謝はしていても、お金を払っているんだから、「当たり前」と思っていないでしょうか。
何かを買う時、サービスを受ける時、お金を払います。
限られたお金を遣うのだから、できるなら、なるべくなら、安い方がいい。
なるべく自分の手元にはお金が残る方がいい。
それはそうです。
でも、そのお金は、その仕事をする人の生活を支えます。
つまり、その人がその仕事で生活をするだけのお金を得られなくなるのなら、
その仕事をする人はいなくなってしまう、ということです。
そう考えると、お金を払う時に、
「この仕事をしていてくれてありがとう」と感謝の気持ちを持てるし、
「がんばってください」という応援の気持ちも添えることができるように思います。
自分が頑張って働いたお金を遣うわけなので、生活が楽なわけでもない中で、
出ていくお金に「ありがとう」とはなかなかいえないかもしれません。
でも、感謝の気持ちが少しでもあれば、せめてクレーマーにならずに、
安さだけの追求には走らないでいられるようにも思います。
感謝。
それが社会の中心にあれば、いまよりはもうちょっと住みやすい世の中になるのかもしれません。
たけちゃんが、毎日時間を見つけては積み上げてくれている薪です。
家族が寒い思いをしないようにと頑張ってくれています。
ありがたいことです。
まずは、身近な人に、感謝の気持ちを伝えたいと思います。
たけちゃん、毎日おつかれさま。
そして、いつもありがとう。