2021/12/20

時間

今朝、寝坊しました。

と言っても、大事には至らないほどの寝坊で、起きたのはまだ外が真っ暗な時間だったので、こんな暗いんだからしゃーないよ、と開き直れる程度ではあったのですが、バタバタ弁当作って子どもを送りだしながら、時間について考えてしまいました。

「時間」という概念こそ、人間を最も支配しているものではないか、と。

「ゆっくりやってみると幸福感が増す」というのを聞いたことがあるけれど、確かにそうかもしれません。お弁当作りも、日々の料理も、食事やお風呂だって、時間の制約が無かったら、もっと楽しい。きっと、もっと挑戦したり、工夫したりできるはず。

いつから私たちは、時計ばかり気にしながら生きるようになったのだろう。

明るくなったら起きて、暗くなったら眠る。
それが一番幸せな生き方かもしれない。

そんなことを考えながら、朝、外がまだ暗い中支度する子ども見てると、夏時間と冬時間、季節に応じた時間割だといいのになと思ってしまいました。
一年中同じリズムで生活するのって、四季のある日本風土の生き物には合ってなくて、とても不自然。
でも、それに違和感を覚えず、順応していくようにこの社会のシステムは作られていて、時間を守り、時間に従って生きることを迫られ、自分の感覚よりも、時間が優先されるようになっている。

日々の自分を振り返ってみると、時間に遅れないように、焦ったり、急かしたり、イライラしたりがしょっちゅうで、、、。
私にとって、「時間は守らなければいけないもの」で、守ることが「絶対」という感覚が染みついてるんだなぁと。そして、それが疲労感や嫌悪感を呼び、結果として幸福感を疎外している。

時間を守らなくていいと言いたいわけでも、時間がいらないと言うつもりもないのですが、ただ、時間に支配され過ぎるのも考えものだな、と。「時間」という価値観が絶対ではないのではないか、と疑ってみることも必要かもしれないと思ったりしています。

そう、最近よく思うのは、「絶対」っていうものはなくて、「絶対」と思わせられてるだけで、「絶対」ではないということ。
これが絶対正しいも、絶対間違ってるもなくて、両方の可能性があって、その可能性を疑ってみること、考えてみること、自分なりの答えを見つけてみること、そこが大事なんじゃないかな、と。

どんなことも、陰と陽。
やっぱり、最後は「バランス」に行き着くのですね。

時間お構いなしのだらけた生活?ももちろん違うと思うけれど、現代の生活は、時間という制約、拘束、管理が強すぎる気がしています。
もう少し、時間とうまく付き合っていきたいです。


そういえば、もうすぐ冬至。
一年で一番日が短くなるこの時期だから、時間について考えたのかしら。

冬至カボチャを代表するように、この時期はゆず、みかん、人参と、オレンジ系の色が台所には増えますね。
まるで太陽を補うかのようだ!と、一人、自らの発見!?に、なるほどと手を打っています笑。

日は短いですが、いつも心に太陽を!と人参を握りながら思った次第です。

ひとりごとでした。